ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

2商社不要論の台頭他業種と同じく業績の低迷に苦しむ中、再び商社に対する悲観論=商社不要論が台頭してきた。かつての商社不要論は例えば、メーカーが巨大化し、独自の販売網を構築することで商社は不要になるというもの。あるいは、スーパーマーケットなどの大規模流通業が流通機構の改革に乗り出し、問屋=商社を無用にするというもの。これらの変革によってトレーディングを中心とする商社は生き残れないという捉え方だった。1990年代半ば以降にささやかれ出したのは、IT革命により仲介業者としての商社機能が不要になるという意味の商社不要論であった。事実、商社の業務はトレーディングだけでは成り立たなくなっており、メーカーとユーザーの間を仲介するだけの商社は文字どおり、不要になっていた。旧来の機能そのままの商社にとっては冬の時代であった。商社は事業運営・事業投資から収益を得るビジネスモデルの構築と強化、収益重視への転換といった経営課題にも取り組み始めていた。3商社再編の進展1990年代、「失われた10年」と言われた時代、バブルの後遺症である不良債権の償却を自力でできない商社は合併・再編へと向かった。その一つが兼松で、1999(平成11)年に銀行管理下で経営規模を3分の1にまで縮小する再建を行った。また、バブルで深く傷ついた日本の金融界は国際的な金融自由化の荒波にも立ち向かわなくてはならず、金融ビッグバンと称される大規模金融制度改革が進められつつあった。この金融制度改革の中で、従前の護送船団とよばれた強固な金融業界に再編の動きが発生した。さまざまな事業体を抱え、生産、物流、貿易、与信に関わる商社は、マーチャントバンク的な色彩を担っており、金融業界再編の大きな影響を受けることとなった。日商岩井は事業領域の絞り込み、負債圧縮、人員削減などを行い、同様に事業の絞り込みを行ったニチメンと統合し、双日として新生した。そして、この再編の中にはトーメンと当社との資本提携や同社の吸収合併も含まれることになった。こうして10大総合商社体制は1990年代から2000年代にかけての合併・再編により7社に集約され、各社とも時代にふさわしい商社のあり方を模索していくことになった。86