ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

不動産業界、大手ゼネコン、商社を直撃し、建設の始まっていたプロジェクトのほとんどが中止か破綻に追い込まれた。経済の血液循環をつかさどる金融機関が相次いで破綻するという未曽有の状況の中、政府は銀行に公的資金を注入し、資本増強による金融恐慌の回避を図った。1998年3月から2003年6月まで金融機能安定化法に基づき総額12兆3,800億円余りが投入された。3アジア通貨危機の発生わが国が長引くバブルの後遺症に悩まされ、そこからの脱出の糸口を探していた1990年代後半、アジアを発端とする経済危機が世界を襲った。1997(平成9)年11月、タイの通貨バーツの暴落を発端としてフィリピン、インドネシア、韓国で通貨・経済危機が発生し、瞬く間にアジア全体に影響が広がった。各国とも通貨の暴落により、それまでの経済成長を支えた外国資金が国外に流失し、通貨とともに株価が急落し、景気は急激に悪化した。このアジア通貨危機は1998年にロシアや中南米にも波及し、ロシアのルーブル通貨切り下げによって米国のヘッジファンドが破綻するなど、先進諸国にも少なからぬ影響を与えた。タイやインドネシア、韓国などは危機脱出のためにIMFの管理下での経済再建を余儀なくされた。当社はバブル経済の崩壊による影響は比較的軽微であったが、アジア通貨危機の際は貿易量の急激な落ち込みと為替の急落により大きな打撃を受けた。バブルがはじけ貸店舗が目立つ東京・銀座写真:毎日新聞社/アフロ第2節商社冬の時代1バブル経済の崩壊1980年代後半のわが国経済の活況は商社にとっても追い風となった。プラザ合意後の円高により輸出には逆風だったが、輸入は好調で食品や飲料、スポーツ用品、装飾品、医療機器などが増加し、ニュービジネスとして期待された情報通信分野への参入も進んだ。また、海外への投資も円高により相対的に安価になったことから増大していた。それがバブル経済の崩壊により、一転する。総合商社全体の利益は1990(平成2)年にいったんは過去最高を記録したものの、1991年には軒並み減少し、多額の含み損も発生した。当社も1991年度の売り上げ2兆2,259億円をピークに、1992年度は2兆786億円、1993年度は1兆7,303億円と降下した。商社もまた不良資産の処理や業績の悪化した関係会社の整理を迫られ、傷ついた財務体質の強化が大きな経営課題となった。円高により1ドル79円台突入写真:毎日新聞社/アフロ沿革編85