ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

第4章経済摩擦への対応第1節企業体質の強化1新中期経営計画の策定当社の初代社長として会社創成期から拡大期をけん引してきた岡本藤次郎は1959(昭和34)年に会長に就任し、以降、神原富保と宮入潔が2代、3代社長として経営の舵取りを行ってきた。1977年6月、4代社長に就任した柴田泰男は二度にわたる石油危機後の厳しい状況の中、「商社、冬の時代」を打開するため、中期経営計画を策定し、めざすべき新たな指針とした。計画ではトヨタグループの窓口商社としての体制を確立し、けん引車の役割を果たすとともに商社機能を強化し、長期的な成長をめざすことを基本に据えた。具体的には1.総合管理体制の整備、トヨタグループとの取引体制の強化充実2.総合商社としての営業戦略の積極化3.事務合理化、経費節減などの経営合理化4.商社マンの人材育成の四つを掲げた。厳しい経営環境のもとで守りの経営を余儀なくされる中、原価意識の徹底、国内支店網の拡充、新規市場の開拓、海外合弁会社の設立を実施していくこととした。1980年8月、柴田社長からバトンを受けて第5代社長に就任した江崎誠三はこの中期経営計画の着実な実行を呼びかけた。柴田社長2売り上げ2兆円の達成1981(昭和56)年3月期、当社は初めて売上高1兆円を達成し、純利益も前期を上回る業績を上げたが、経営を取り巻く環境の悪化を受け、輸出の減少、トヨタグループ向け売り上げのダウン、機械・燃料部門の頭打ちなどに見舞われた。それを打開するため、江崎社長のもと、「ダイナミック豊通」をスローガンに掲げ、新たな中期計画の策定に着手した。合弁事業を積極的に推進し、総合商社としての体制を整備しつつ、豊田中央研究江崎社長沿革編77