ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

コラムミッドランドスクエアにつながった貸ビル事業への進出1946(昭和21)年11月に完成した豐田会館を建て直して貸ビルにしようという構想が生まれたのは1951年頃だったと言われる。グループ内には貸ビルは贅沢と旧豐田ビル(1957年7月頃)の声もあったというが、名古屋駅前の発展は確実視されていたため、トヨタ自動車工業、豊田自動織機製作所、当社の3社共同出資により、1953年8月、東和不動産株式会社を設立した。当時は日銀の金融規制が厳しかったため、貸ビル業への銀行融資がなかなか決裁されず、自動車メーカーが貸ビル業に進出することへの風当たりも強かった。社名を豊田不動産ではなく東和不動産としたのはそのあたりの風潮に配慮してのことであった。そうした状況にあった東和不動産が厳しい金融環境の中で資金調達を行い、名古屋駅前に完成させたのが豐田ビルであった。完成後は当社の本社オフィスだけでなく金融関係の店舗や飲食店、映画館、多目的ホールが入居し、名古屋の地下街発展の一翼も担った。その後、第二豐田ビルの建設を経て、2006(平成18)年には隣接していた毎日ビルとともに解体され、名古屋駅前地区の新たなランドマークとミッドランドスクエア全景なったミッドランドスクエアへと生まれ変わった。76