ブックタイトル豊田通商70周年史

ページ
77/432

このページは 豊田通商70周年史 の電子ブックに掲載されている77ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

豊田通商70周年史

していたアフリカでは1980(昭和55)年以降、本格的な市場開拓に乗り出し、1982年には南アフリカのダーバン、アンゴラのルアンダ、モロッコのカサブランカ、1983年にはソマリアのモガディシュ、1989年にはコートジボワールのアビジャン、マダガスカルのアンタナナリボに駐在員事務所を開設し、トヨタ車とダイハツ車の拡販や農産品の輸出業務も行った。第2節グローバル化への対応1海外業務室の設置当社はトヨタグループの窓口商社として輸出本部を設置し、各種製品の輸出に取り組んできた。1960年代は輸入額も多く、輸出と輸入はほぼ均衡していたが、1960年代後半になると日本からの輸出が急増した結果、輸出入のアンバランスが顕著になってきた。1970(昭和45)年には売上高に占める割合は輸入の4%に対し輸出は約21%と、その差は5倍以上にもなっていた。事業の国際化と多角化を進めていた当社にとって輸出入のアンバランスは是正しなければならない課題であったため、1970年2月、輸出本部を廃止して海外業務室を設置し、同室を中心に海外業務を統括し、輸入の拡大に取り組んだ。第七とよた丸(1970年)2輸入開拓資金の創設海外業務室を中心に輸入の拡大をめざした当社だったが、1971(昭和46)年に発生したニクソンショックにより円が1ドル360円から306円に切り上げられ、輸入拡大はさらに緊急の課題となった。自動車輸出を促進するため、輸出先から一次産品を買い付ける、いわゆるカウンターパーチェス方式で取引していたが、そうした品は割高であったため、国内販売で採算割れすることが少なくなかった。その損失をカバーするため1971年9月社内に設置されたのが「輸入開拓基金」であり、1,000万円からスタートした基金はまもなく1億円に増額された。その後は「開発基金」と改められて基金が再び増額され、輸入拡大に加え、さまざまな開発にも適用された。ドル防衛策を発表するニクソン米大統領写真:AP/アフロドル・ショックによる東証株価暴落写真:毎日新聞社/アフロ沿革編75