ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

第3章経営多角化の推進第1節総合商社としての基盤強化1加速する多角化日新通商として再出発を果たした当社はトヨタグループの窓口商社として取扱商品の多様化に取り組んできた。岩戸景気が始まった1959(昭和34)年以降は特にその傾向が顕著となり、鉄鋼、金属、機械、車両、燃料といった非繊維部門を急速に伸ばしていった。トヨタグループの窓口商社機能を担いつつ、多様な商品を取り扱う本格的な総合商社としての道を歩豊通オイルセンターみ始めたのが1960年代以降であった。1966年にいざなぎ景気が始まると、総合商社としての基盤整備をさらに強化し、関連会社の設立、流通経路の拡大、支店・出張所の拡充、海外拠点の充実、海外合弁会社の設立などに取り組んだ。こうした基盤のもとで当社は従来事業に加え、事業の多角化、取扱商品のさらなる多様化を図り、関連会社を次々と設立していった。2豊通グループの形成当社の関連会社の第一号は、豐田産業の解散に合わせ、その自動車金融部門を受け継いで発足した大豊産業である。その後、トヨタ自動車工業やトヨタ自動車販売に自動車金融業務を移管し、保険業務を当社の経理部保険課が受け継ぐことで大豊産業は解散した。1955(昭和30)年5月には当社全額出資で東和石油(現豊通石油販売)1950年頃激増したバス1985年頃の日東段ボールを設立し、シェル石油(現昭和シェル石油)の特約店として各地でガソリンのサービスステーションを運営したほか、各種の石油製品の販売も行った。1961年3月に東郷樹脂、1961年4月には作業服の縫製を行う東和繊維工業(現豊通ヴィーテクス)、1962年4月に日新石油を設立、1963年6月に段ボール製造を行う日東段ボール(現豊通ニューパック)に資本参加。さらに、1963年10月に名豊物産(後に解散)、1966年4月に三宝商事(現豊通ファシリティーズ)を設立した。1960年代後半、関連会社の設立が加速する。1968年3月、トヨタ自動車工業向けジャスト・イン・タイムに対応するため、わが国でも最大規模の68