ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

第2節拡大する海外事業1二輪車の輸出トヨタ自動車販売が輸出部を設置し、海外市場の開拓の調査を開始したのは1950(昭和25)年であった。当初は賠償を目的とした途上国向けのトラックやバスが中心であり、1956年以降に自動車輸出が本格化していった。トヨタ車の輸出台数は1956年に869台、57年は4,117台となり、半数近くがランドクルーザーであった。当社が扱ったのはホンダやスズキの二輪車であり、ホンダはマレーシア、輸出向けホンダ二輪車シンガポールなどの東南アジア、ペルー、ベネズエラ、チリなどの南米、スズキは台湾とタイに輸出した。1950年代半ば、東南アジアで自動車や機械類の需要が増えつつあったが、外貨不足のため、代金を自国産品の輸出で支払うカウンターパーチェス貿易が増えていた。それに対応するため当社はバーター取引を中心とする交渉を行い、途上国向けの二輪車や繊維機械の輸出を増やしていった。2トヨタ車の輸出開始海外への輸出拡大をめざしたトヨタ自動車販売だったが、1960年代はまだ十分な成果を上げるには至っていなかった。ことに米国以外の東南アジアや中南米ではトヨタ車の存在感はまだ薄かった。トヨタ車輸出の先兵となったのが当社であった。トヨタ自動車販売の手が回らない途上国向けの輸出を当社が代行することになり1963(昭和38)年7月に大阪支店に大阪車両部を創設し、翌年2月に車両部を新設、東京車両課を設置した。同年9月には大阪車両部を東京に移転し、東京車両1課、2課という体制とした。バーター取引や延べ払い方式など商社機能を生かした取引を進め、東南アジアや中南米、アフリカ向けの輸出を拡大し、1969年には当初の目標だった月間1,000台を達成した。トヨタティアラ1900サンプル輸出(1964年3月)66