ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

第2章経営危機と輸出拡大第1節トヨタグループの総合商社1豐田通商への改称1956(昭和31)年7月1日、当社は社名を日新通商株式会社から豐田通商株式会社(Toyoda Tsusho Kaisha, Limited)に変更した。設立時、トヨタ自動車工業が制限会社に指定されていたことから、社名に豐田の名称を冠することが許されていなかった。しかし、1951年のサンフランシスコ講和条約の締結によって占領状態が終了すると財閥の商号が相次いで復活していった。トヨタグループにおいても1952年12月に刈谷工機が豊田工機に、1953年6月に刈谷車体がトヨタ車体に社名を変更した。当社にも豐田という社名を復活させるべきとの要請が寄せられていたため、取締役会での検討を経て、社名の変更に踏み切った。豐田通商への改称は、当社がトヨタグループの窓口商社としての役割を担うとの決意表明ともなったほか、従業員一人ひとりがトヨタグループの一員でもあるとの自覚と誇りを持つきっかけともなった。なお、当時の豐田通商は旧字の「豐」を使っていたが、1987年7月からは常用漢字の「豊」に改め、英文も「Toyoda Tsusho Kaisha, Limited」から「Toyota Tsusho Corporation」に変更した。1956年当時のロゴマーク沿革編63