ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

1960年10月、トヨダニューヨーク社(Toyoda New York,Inc.のちのトヨダアメリカ社)を資本金1,000ドルで設立した。当時、当社が窓口になっていた日本輸出入銀行借款による米国製機械の買い付けで、米国のメーカーから当社へ信用状の提出が求められたことへの対応であった。また、1961年1月に特殊グラインダーのトップメーカーであったランディス社と1953年頃の日新ダラス連絡所入居ビル代理店契約を結ぶが、これが輸入機械部発足のきっかけとなった。1961年4月、綿花輸入が自由化され、徐々に輸入量が減ってきたことから、1986年にダラス事務所を閉鎖し、業務は当社の現地法人トヨダアメリカ社(Toyoda America,Inc.)が引き継いだ。6中南米での現地拠点開設1957(昭和32)年10月、メキシコに駐在員事務所を開設し、豊田自動1945年頃のダラス綿畑織機製作所が設立していたメキシコトヨダ社の活動を支援したが、1959年に同国の国内事情により閉鎖した。1961年8月にベネズエラのカラカス、1962年6月にアルゼンチンのブエノスアイレスに駐在員事務所を開設したが、これは中南米へのホンダの二輪車の輸出が急増し、繊維機械やベアリングなども有望と判断されてのことであった。アルゼンチンでは登場した革命政権によって二輪車の輸入が禁止されたため、ペルーのリマに事務所を移転した。ブラジルではトヨタ自動車工業がサンパウロにランドクルーザーの現地組立を目的としたトヨタドブラジル社を設立したのを機に1963年11月、サンパウロ駐在員事務所を開設し、資材納入と中南米での市場開拓に当たった。1964年8月には駐在員事務所を昇格させてトヨダブラジル社(Sociedade Comercial Toyoda Tsusho Do Brasil Ltda)を設立し、繊維機械や電動工具、軽機械の市場拡大を図った。このほか、1965年4月にエクアドルのグアヤキルとトリニダード・トバゴに駐在員事務所を開設したが、トリニダード・トバゴは1968年10月に一端閉鎖したものの1978年3月に再開した。7アフリカでの現地拠点開設1962(昭和37)年9月、ケニアの首都ナイロビに駐在員事務所を開設し、ケニア、ウガンダ、タンザニアの東アフリカ3カ国を中心に紡績機械などの売込みを開始した。1961年にローデシア(北ローデシアと南ローデシアを経て現ザンビア、ジンバブエ)に和歌山鉄工の染色プラントとセットで豊田自動織機120台を輸出した。これを機に1964年10月、南アフリカのヨハネスブルグに駐在員事務所を開設し、南アフリカでの事業拡大を図った。60