ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

の設立が認められた。その理由として指摘されたのは以下であった。「解散する豐田産業の営業せる鉄鋼、電気製品、機械金物、自動車工具及び用品、日用雑貨、木工製品、紡織機械等の販売を継承するものにして、これらの取扱製品は、いずれも平和日本の産業再建並びに民生の安定に欠くべからざるものにして且つ日常生活の基礎物資なり。取扱商品の主たる仕入れ先は名古屋市及びその周辺の各会社、工場にして、これら販売先は全国各地にわたり、もって物資流通面の円滑化の推進、あわせて優秀な中小企業の育成に貢献すること大なり。」ここに記された「日常生活の基礎物資」「物資流通面の円滑化」「優秀な中小企業の育成」こそ、商社としての機能を予告するものであった。商事会社としての再出発を固める一方、社長を務めていた豊田利三郎は「一身上の理由」により、辞表を提出した。財閥解体は豊田家には及ばなかったが、公職追放が経済界に広がったことへの対応であった。同じ理由により常務の小林虎之助、取締役の堀田虎之助、監査役の鈴木利蔵も辞任した。こうして戦前から続いた豐田産業はその使命を終えることになった。3日新通商としての再出発1948(昭和23)年7月1日、豐田産業の商事部門を分離して、新会社が設立された。社名は豊田利三郎の発案により日新通商株式会社(英文名:Nisshin Tsusho Kaisha LimitedまたはNisshin Trading Company Limited)としたが、これは「日々、新たなり」との決意を込めての命名であった。これに伴い、同日に豐田産業は決定整備計画に基づき解散となった。日新通商(以下:当社)の資本金は900万円、本社所在地は名古屋市中村区笹島町1丁目221番地の2となった。豐田産業時代の大阪支店および東京出張所をそのまま引き継いだ。1948年8月20日、第1回の臨時株主総会を開催し、定款の一部を変更したほか、総会後の役員会で以下の経営陣を決定した。岡本藤次郎取締役社長岡本藤次郎常務取締役神原富保岡島貞雄治良丸友恒取締役西川昌雄岩佐芳次郎余語一男監査役加藤村次森川貞雄営業目的は以下に定められた。一、諸機械並びに部品、金属製品、木工品、医薬品、日用雑貨の販売52