ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

わが国の経済構造に加え、人々の生活様式も大きく変えたのが1950年代から70年代にかけての高度経済成長であった。第2節安定成長への移行1石油危機と高度成長神話の崩壊1970年代半ば、わが国経済はターニングポイントを迎えた。1971(昭和46)年の米国・ニクソン大統領による新経済政策、いわゆるニクソンショックに続いて1973年10月に第一次石油危機が発生し、原油価格の高騰を招いた。「狂乱物価」と呼ばれるほど物価の上昇も激しく、1974年には上昇率は23%にも達した。トイレットペーパー騒動に象徴されるような原油価格とは直接関係のない物資を一般市民が買い占めに狂奔する現象も生まれるなど、石油危機が社会生活に与えた影響は大きかった。企業業績だけでなくわが国経済への影響も大きく、1974年には-1.2%と戦後初のマイナス成長を記録した。石油危機は1977年にも発生したが、この二度にわたる石油危機によってわが国経済は低成長への移行を余儀なくされ、ここに高度成長神話は崩壊した。そうした状況の中で産業界は減量経営と省エネルギー対策を迫られることになった。石油危機によるトイレットペーパー騒動写真:読売新聞/アフロ2激化する経済摩擦高度経済成長は日本の国際的な地位を向上させる役割も果たした。1960年代から70年代にかけ、海外への輸出が拡大し、鉄鋼やアルミニウムなどの素材や船舶、電気製品、自動車などの工業製品の世界的なシェアが高まっていた。さらに石油危機以降も、わが国の産業界は輸出に活路を求めようと懸命な努力を重ね、国内で生産した工業製品を輸出に振り向けるよ日米貿易摩擦、日本車の輸出自粛を迫る写真:毎日新聞社/アフロ日米貿易摩擦アメリカでのデモ写真:AP/アフロ沿革編49