ブックタイトル豊田通商70周年史

ページ
50/432

このページは 豊田通商70周年史 の電子ブックに掲載されている50ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

豊田通商70周年史

序章時代の状況第1節高度経済成長の時代1特需景気の恩恵1945(昭和20)年から始まった戦後復興は物資や資源の深刻な不足もあり、遅々として進まず、1950年になってもデフレと景気の停滞が続いていた。そうしたわが国経済の転機となったのが、1950年6月に勃発した朝鮮戦争であった。日本が米軍の出動基地となったことで軍用物資の買い付けが行われ、その代金がドルで支払われる、いわゆる特需(スペシャル・プロキュアメント)が発生した。大量のトラックを米軍向けに納入するなど、トヨタ自動車もその恩恵を受けた1社であった。こうした特需景気もあり、わが国経済は急激な復興を遂げ、1953年に「もはや戦後ではない」1956年当時の東京・銀座写真:読売新聞/アフロは戦前の生産水準を突破するまでになった。「もはや戦後ではない」という有名な言葉が記されたのは1956年の経済白書であった。2高度経済成長の始まり朝鮮戦争の終了後、一時的な不況はあったものの、1955(昭和30)年を転機としてわが国経済は拡大期に突入した。輸出が大きく伸び、国際収支は急速に改善し、また、設備投資の回復にも支えられて生産が増加していった。未曽有と言われた高度経済成長が始まったのである。1956年には設備投資を主要な需要とする経済成長年率10%を達成し、いざなぎ景気、カラーテレビに群がる人々写真:毎日新聞社/アフロ新・三種の神器の一つ、マイカー写真:毎日新聞社/アフロ1957年まで長期の景気拡大が続き、神武天皇治世以来例がないと言われる「神武景気」が現出した。その後、若干の落ち込みはあったが、1958年から神武景気を上回る「岩戸景気」、1965年からは岩戸景気をさらに上回る「いざなぎ景気」が57カ月にわたって続いた。1968年には西ドイツ(当時)を抜いて世界第2位の経済規模(国民総生産=GNP)を誇るまでになった。長期にわたって年率10%を超える経済成長を達成し、実質賃金の向上によって国民の生活水準も向上した。それを象徴していたのが、新時代の生活必需品としての三種の神器の変遷であり、1950年代に白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫だったものが、1960年代にはカラーテレビ、クーラー、自動車(カー)の3Cへと移り変わっていた。48