ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

ままでは工機会社として成立できない」との危機感をあらわにした。続けて喜一郎は「自動車、紡織機、紡績」の3事業を柱にすることとし、新規事業への挑戦も明らかにした。喜一郎をはじめとした首脳陣は強い危機意識を共有する一方、復興への強い決意をみなぎらせていた。2豐田産業の商社構想戦後復興に乗り出そうとしていたトヨタグループにおいて豐田産業にどんな役割を任わせるべきか。それに対する解答が示されたのが、約1カ月後の9月28日に開催された戦後2回目の取締役会であった。この開催には背景があった。取締役会に先立つ9月22日、GHQ(連合国軍総司令部)により、軍需品工場が民需に転換する場合、日本政府が工場ごとにGHQへ転換願いを提出することが決まった。さらに9月25日のGHQ覚書「製造工業の運営に関する件」によって、GHQ管理のもと、限られた範囲ではあったが、軍需工場の民需転換が許されることになったのである。こうした朗報を受けての取締役会であった。出席したメンバーは第1回と同じで、豊田喜一郎が次のような意見を述べた。「わが国工業の今後の見通しについては、大工業の解体と中小企業の育成興隆に着目を要するものあり。従って、豐田業団および豐田産業の性格および針路については畢竟1、同系各社は中小企業の立場に於てそれぞれ平和産業に進む。2、豐田産業の商業部門を急速整備をなし、各社製品の販売に当る。3、これがためには豐田産業は各社をして生産一本に傾注せしめ、経営を単純化して生産能率の向上、品質の改良に専念。其の目途としてGHQが置かれた占領下の第一生命ビル写真:近現代PL/アフロ直進し得る様、各社の販売(輸出迄進出する)面を統轄担任し、かつ海外需要の調査研究および資材の供給(購入、輸入販売迄進出する)をも担任することとして進みたし。ついては豐田産業の社内組織、一日もすみやかに事業開始に努力したし。」ここで明らかにされたのは、大工業の解体が避けられないことを前提に各社が子会社を設立して育成していくこと、豐田産業は豊田自動織機の紡織機とトヨタ自工の自動車を除いてグループ会社の販売面を統轄し、各社が製造業に専念できるように配慮したことである。それは豐田産業を持株会社から販売を主体とする事業会社、すなわち商社へと転換させることにほかならなかった。三つめの項目に示された「輸出を含めた販売面の統轄」「海外需要の調査研究」「資材の供給」は商社に求められる機能そのものであった。3商事部門の整備第2回取締役会の決議を受け、トヨタグループ各社は競って手持ちの資42