ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

車工業など数社を加え、1943年には1,300万円に達し、配当・利子収入によって経営は安定していた。同年7月には本社を名古屋市中区新栄町4丁目15番地(現中部日本放送本社)に移転した。軍需会社ではない豐田産業の自動車配給申請はいつも却下され、若手社員の多くが兵役に取られ、社員も次第に少なくなっていった。2資本金1,000万円への増資1944(昭和19)年、東洋紡績が保有していたトヨタ自動車工業の株式14万株を手放すとのニュースが飛び込んできた。戦前のトヨタグループは豊田佐吉の経営思想からトヨタ関係者以外の株式保有を原則的に認めていなかったのだが、優良会社であったトヨタグループの株を希望する企業が多く、財界を中心に株主が広がっていた。その一つが東洋紡績保有のトヨタ自動車工業株であった。これがグループ外にあり続けることは得策でないと判断した首脳陣は豐田産業が受け手となることを決め、資金調達を図った。1944年8月、資本金を一挙に1,000万円とすることを決議し、購入資金に充てた。この増資により豐田産業の株主構成は大きく変動し、トヨタ自動車工業、豊田利三郎、豊田喜一郎が大株主となり、持株会社としての性格がより一層鮮明となった。沿革編39