ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

第1章金融会社としての出発第1節トヨタ金融の創立1トヨタ金融株式会社の創立1936(昭和11)年10月31日、豊田自動織機製作所はトヨタ金融株式会社を創立した。資本金は100万円、社長には豊田利三郎が就任し、取締役には豊田喜一郎、竹内賢吉、岡崎栄一、監査役には岡本藤次郎がそれぞれ名を連ねた。神谷正太郎は直接経営にタッチしなかったが、月賦金融に精通し、日本GM社時代の部下であった治良丸友恒を招き、実務担当とした。事業目的は以下のように定められた。一、自動車の取次販売人および個人買主に資金の融通をなすこと一、自動車ならびに部品製造販売または自動車による運輸を目的とする事業への投資および資金の融通をなすこと一、前記各項に付帯関連する一切の業務1936年10月トヨタ金融が最初に入居した福寿ビル(名古屋市中区南大津町)この中で「自動車運輸業への出資および金融」が盛り込まれているのは、そのころ活発になっていたトラックによる貨物輸送への対応からであった。当時の一般的な輸送手段は馬車、人力車、リヤカーなどであったが、荷馬車業者の中にはトラックを利用する業者が増加していた。こうしたトラック転換組はいずれも零細であったため、高額なトラックを購入するには月賦販売に頼らざるをえなかった。トヨタ金融は12カ月月賦を提供してGM車やフォード車に対抗し、トヨタ車の拡販に貢献した。第1回営業報告書2先細りする金融事業将来を嘱目されてスタートしたトヨタ金融であったが、その道のりは困難をきわめたものとなった。設立翌年の1937(昭和12)年に日中戦争が勃発し、戦時統制が強まると臨時資金調整法が公布され、月賦金融も規制の対象となった。さらに日中戦争が拡大すると統制色はさらに強まり、1939年5月には「乗用自動車の供給制限に関する法」が通達された。これは自動車の販売に際し、台数、価格、納期、供給を必要とする事由などに沿革編37