ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

が、そのときの心境は金属部門の担当者によれば、「清水の舞台から飛び降りる覚悟」であったという。それは、当社単独ではこれまで経験のなかったモノづくりへの挑戦でもあった。プロジェクトは手探りで始まった。「アルミ合金メーカーの経験者の協力を仰ぎながら、必要な設備をつくっているメーカーや担当者のまず名前を聞く。そこから始めざるを得なかったのです」(同前)という状況からのスタートだった。その後、レイアウトの決定、設備の選定、人材の採用と教育、品質管理、コスト管理、工場全体のオペレーションなど、少しずつ経験と実績を積み上げていった。特に安全面ではちょっとしたミスが重大な事故につながるリスクがあるため、重点課題として取り組んだ。ポーランド、中国、インドそして国内アルミ溶湯事業は世界中で同時多発的に進められた。インドネシアの直前にポーランド工場を米国と同様に大紀アルミニウム工業と合弁で立ち上げ、中国でも長春、広州、天津でアルミ溶湯事業を開始した。国内でも事業化を加速し、愛知県(田原)と九州(苅田、久留米)、そして北海道で事業を開始した。この結果、アルミ溶湯事業の展開拠点としては日本に加え、米国、ポーランド、インドネシア、中国、メキシコ、インドに広がっている。アルミ溶湯事業ではアジアでNo.1、世界的に見てもトップクラスの規模を誇るまでになったが、これを可能にしたのは、アルミという素材に対する以前からのこだわりを貫きつつ、商社機能とネットワークを生かして取り組んだ結果であった。アルミスクラップ回転炉吸引ポットアルミ溶湯運搬190