ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

米国ミズーリ州でアルミ溶湯事業を開始豊田通商が本格的にアルミ溶湯事業に取り組んだのは米国であった。1998(平成10)年、ミズーリ州にあったトヨタ自動車のエンジン工場に隣接させてアルミ溶湯工ルミ溶湯工場を建設したわけである。さらに付加価値の高い再生アルミ溶湯であれば、トヨタのサプライチェーンマネジメント(SCM)に組み込まれ、アルミのグループ内還元が可能になるだろう。そうしたメリットを期待しての米国での取り組みであった。場を建設したのが最初である。米国で豊富に発生するスクラップアルミを中心として溶湯を行い、直接エンジン工場に供給するという事業だった。加工性に優れ、軽量のアルミは自動部品などに多く用いられるが、ボーキサイトから製造されるアルミ新塊か、スクラップから精製されるアルミ再生塊の2種があり、当社はこのアルミ再生塊の取り扱いで世界有数の実績を持っていた。しかし、アルミ再生塊は競争が激しく、付加価値も低く、他社との差別化が難しい一方、再生したアルミ溶湯であれば付加価値は高いという特性がある。一般にアルミスクラップの再生は塊にするか、溶湯にするかのどちらかだが、溶湯のほうが効率が良く、CO 2排出も少ないため、省エネになるという特徴を持つ。しかし、液体であるから輸送効率は悪くなる。そこでエンジン工場に隣接してアインドネシアにおける単独事業への挑戦米国での実績を受け、2003(平成15)年にはポーランドでアルミ溶湯事業を進め、さらにインドネシアでも事業化に取り組んだ。トヨタ系のホイール工場に隣接して工場を建設し、ホイール用アルミ合金溶湯を供給しようとしたのである。このプロジェクトの進行中、パートナーを組む予定であった現地メーカーが合弁事業を断ってくるという事態が発生した。理由は他の国で別の事業がほぼ同時期に進んでおり、多忙を極め、インドネシアでは難しいというものだった。しかし、いまさら撤退はありえないというのが当社側の判断だった。最終的に単独での現地進出および事業化を決断するのだアルミ溶湯テーマ編189