ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

第2章新たな商社像の構築第1節経営体制の変遷1千輪社長から古川社長へ1999(平成11)年6月、当社は社長交代を行い、武山栄造が会長、千輪博が社長に就任する人事を発表した。社長就任にあたって千輪社長は当社が非常に厳しい経営環境にあることを訴えた上で、より一層「筋肉質で躍動的な会社」にしていくことを目指すとし、従業員には「情報・環境・グローバル」の視点で行動していくことを求めた。そして、「21世紀に向かい、当社が生き残っていくだけでなく、大いなる発展に向け、全役職員が一丸となってチャレンジすれば、必ずや道が開けると確信しております」と結んだ。こうして就任し、着実に業績を回復させていった千輪だったが、2年後の2001年、健康上の理由から社長を退任し、続いて古川晶章が新社長に就任した。古川社長は2000年に発表されていた「2010ビジョン」の実現に向けて努力することを宣言し、「部門連結経営の推進」「権限の委譲」「人材(人財)の育成」を進めるとした。仕事にあたっては「商魂」すなわち仕事に対する執念、チャレンジ精神、情熱、先取の精神などを忘れてはならないと結んだ。2古川社長から清水社長へ古川晶章社長の主導により業績を拡大させ、トーメンとの経営統合を目前にした2005(平成17)年6月、古川社長が会長に、清水順三専務が社長に就任する経営体制に移行した。清水社長はそれまでの「現地・現物・現実・商魂・執念」というキーワードに「チームワーク・スピード」を加えることを宣言し、豊田通商グループとして新しい経営理念、グループウェイのもとで次の時代を切り開いていくことを求めた。清水体制は2008年のリーマン・ショックによって業績の大幅な落ち込みに陥ることになったが、経営体質の強化、事業の見直しを通じて回復への道筋をつけ、「VISION 2015」で掲げた「自動車分野:非自動車分野=50:50」が見えてきたことから千輪社長古川社長清水社長124