ブックタイトル豊田通商70周年史

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概要

豊田通商70周年史

序章時代の状況第1節幾度もの試練1リーマン・ショックの発生2000年代、ITバブルの崩壊からいち早く立ち直った米国に加え、中国をはじめとする新興国がけん引役となって世界経済は成長を続けた。わが国も米国経済やアジア経済が回復に向かったことで輸出が増加し、緩やかながらも長期の景気拡大期に入った。一時的な調整局面はあったものの、輸出や設備投資に支えられ、戦後最長の景気拡大となった。しかし、2008(平成20)年に米国のサブプライムローン問題に端を発し、米国大手証券会社の一角であったリーマン・ブラザーズが破綻すると世界的な金融危機「リーマン・ショック」が発生し、あっという間に世界経済を直撃した。海外需要の急速な減退と円高により、わが国経済も深刻な影響を受けることになり、その深刻さから「100年に一度の大不況」という言葉が交わされるほどであった。トヨタ自動車もその影響から逃れることはできず、2009年3月期で出した赤字決算は「トヨタ・ショック」と呼ばれ、その深刻さを社会に印象づけた。2大災害の発生と六重苦2011(平成23)年3月11日、三陸沖を震源地とするマグニチュード9.0の大地震が発生し、これに伴って発生した津波により北関東・東北太平洋沿岸部が甚大な被害を受けた。東京電力福島第一原発も電源を失うことで炉心溶融(メルトダウン)現象が起き、放射能漏れを伴う原発事故となった。震災による死者・行方不明者は1万8000人を超え、建築物の全壊・半壊は合わせて40万戸に達するという未曾有の災害となった。同年秋には日本との経済的なつながりが強く、数多くの日系企業が進出しているタイが大洪水に見舞われ、工場の操業停止、交通インフラの寸断など経済的に大きな打撃を受けた。さらにこの頃、円高、過剰な雇用規制(製造業の派遣禁止など)、高い法人税、環境規制の強化、自由貿易協定の遅れ、電力供給の不安という「六重苦」リーマン・ショック写真:AP/アフロ東日本大震災写真:毎日新聞社/アフロ118